就職までの苦悩

雑記
ナオパパ
ナオパパ

私には将来やりたい事もなく、途方に暮れていました。

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大学卒業後、廃人へと向かう

私は、大学3年生秋の教育実習終了後から自分の進路について悩んでいました。

その頃の教育大学は、学生のほとんどが教員を目指し、4年生夏の教員採用試験に向けて勉強に励んでいたため、民間企業への就職にイメージが沸きませんでした。

そのため、就職活動の仕方もわかりませんでしたし、よくある自己分析や業界研究なんかも存在すら知りませんでした…

とりあえず、親から勧められた郵政を受験しました。あの頃は丁度、小泉内閣の郵政民営化が進んでおり、ギリギリ公務員だった記憶があります。

私の郵便局のイメージは配達、年賀状しかなく、知識が無いため、案の定、2次試験の面接で落とされました。

そうこうしている内に卒業式を迎え、地元である青森県に帰ってきました。

帰ってきた当初は何もせず、ただただ、テレビゲームを夜中までしては昼に起きを繰り返し、リアルに腐っていく感覚で蝕まれていきました。

4月の1ヶ月間、そのような暮らしをしていると、心にフィルターが掛かって行き、ドス黒い雲で包まれていきます。

「これはいかん‼️」と思っていたところ、何かで学習塾の教室長の募集を見ました。

自分は教育大学を卒業したので、マッチングすると思い、早速応募しました。



就職活動

当日、面接会場の教室へ行きました。そこには教室長ぽい女性と、なんやら偉そうな50代ぐらいの男性と掃除をしている若い女性が居ました。

席に座ると早速面接が始まりました。最初はオーソドックスに志望動機を聞かれていました。

しかし、「家族構成は?」この質問から事態は一変しました…

私は1人っ子です。そのため、大学は県外に出ましたが、卒業後地元に帰ってきました。正直にその事を伝えると

「1人っ子かー。甘やかされて育ったんだね笑」

と返ってきました。

私は「えっ⁉️」となり

「いえいえ、両親は小さい頃から共働きで、あまり家には居なかったんですよ」

と答えたら、返事は

「それでも、甘やかされてるでしょ」

でした。この時点で、文句言って帰ろうかなとも思ったのですが、早くこの廃人生活を抜け出したい気持ちがあったので我慢しました。

その後も、

「車は持ってるの?」

と聞かれたので、

「はい、大学時代、とても田舎だったので両親に無理を言って軽の中古車を買ってもらいました」

と答えました。さっきの甘やかされているくだりがあったので、ミスったかなと思いましたが、正直に答えました。

そうすると

「そんなに田舎なわけがない笑」

「車が無いと生活出来ないって笑」

もう意気消沈です。

終いには

「講師だったら、生徒から人気出そうだよねー」

と言われら始末。あっち側からすると、アルバイト講師が足りないから、アルバイトで雇えば良いじゃん。ラッキーぐらいの感じだったのだと思います。

面接も終わり、後日教室長の女性から

「アルバイト講師であれば採用しますが、いかがされますか?」

と連絡が来ました。

私も何かしなければという焦りはあったので、プライドを捨て、アルバイト講師に承諾をしました。



アルバイト開始

ゴールデンウィーク明けから、アルバイトをすることが決まり、最初は自分自身の復習に時間をかけていました。

まぁ、中学校時代は成績も良い方だったので、内容を覚えている分野もそれなりにありました。

復習していると、中学校時代にわからなかったことが、今になったら理解が出来るという現象も多々出てきました。

もともと子供は好きだったので、生徒とのコミュニケーションも取れ、自分で言うのもなあれですが、人気がありました。

個別指導塾だったので、生徒の学力層はどちらかというと低かったです。そのため、難しいワードは使わず、この生徒の頭の中で、現在進行形どうなっているのかを感じながら指導をしていきました。このことは本当に自分のためにもなったと思います。

ただ、アルバイトだったため、収入も低く経済的に厳しい状況でした。

そして、後からわかったことですが、面接時に掃除をしていた女性はなんと教室長見習いとして、私が面接を受ける直前に入社していたとのそうです。

どういう事かというと、私が採用試験を受ける時の募集人数は1名でした。ということは、私が試験を受ける前にすでにその1名の枠が決まっいて、私は事前に落ちることが決まっていたということです…

ますます、あの50代ぐらいの男に腹が立ちました。(これも後から聞いたことですが、副社長でした笑)

そして、その見習いの女性は車を持っていたので、

「その車はいつから乗ってるんですか?」

と聞いてみました。そうすると

「大学時代から乗ってるよ」

もう怒りを通り越して、笑うしかなかったです。

それでも、塾講師は楽しかったので続けることにしました。



1年が過ぎ…ついに⁉️

アルバイトを始めて1年、見習いの女性も他の教室長となりました。

そうするといつの間にか、新しい見習いのこれもまた女性ですが、教室に来ることになりました。

私の中では、

『自分には正社員の声はかからないか…』

と落胆していました。

新しい見習いの女性は、とても物腰が柔らかく、優しい方だったので、私も納得していました。

ところが、ある時その女性が教室長に

「私、教室長は出来ません…講師が良いです」

と泣きついてきたそうです。

私はその時、主任講師になっていたので、教室長からその話を聞かされました。確かに、見習いの女性は気が弱めでしたので、三者面談だったり、親を相手にすることに抵抗があるんだろうと思いました。

私は私で、正社員の声がかかれば良いなという気持ちでした。

その後もなかなか声がかからず、ただ後釜も決まらずでした。

そんなある日、教室長から

「ナオパパ、正社員にならない?」

と声を掛けられました‼️

きっと、募集しても良い人が見つからず、最終手段だったんだろうなと思います。

最初の面接から今までの流れを見ると、自分が必要で声が掛かったわけではない。ただ正社員になれるのであればと、ここでも安いプライドを捨て、

「自分はいつでも正社員になる準備は出来ていますよ。」

とクールに言い放ちました笑

その後、教室長からあの忌まわしき副社長に話を通していただきました。

副社長は

「あのお坊ちゃんで大丈夫?」

と、これまた失礼極まりない発言をしていたそうです。今思えば、私も就職活動のマナーとかも知らなかったので、大人にはそう映っていたのだろうと腑に落としています☺️

こうやって、教室長のおかげで、そこから1年の見習いを終えて正社員になることができました

今回、教室長としての苦悩を書きたかったのですが、正社員までの道のりになってしまいました。長くなってきたので、今日はここまで



次回予告

私としては、せっかく教育業界に携わってきたので、それについて書きたいと思います。

学習塾の役割

自分の思い

それらのすれ違い

か、

こんな事があった

的なことを書きます‼️

お見苦しい文章ではありますが、ここまで読んでいただいた方が居れば感謝しかないです。

また次回、読んでいただけると嬉しいです‼️

今後ともよろしくお願いいたします。

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